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洋画の吹き替えって、元の世界観をブチ壊してるよね


日本は洋画となるとほとんど吹き替え版が作られる。

ハリウッド映画ならほとんど吹き替えだ。

Amazon Primeも吹き替え版は無料(もちろんPrime会員だが)で見られるが、なぜか字幕版はレンタル版でしか見られない作品が多い。

何か意図があるのだろうか。

それはさておき、吹き替え版を作るということは需要があるから作るわけで、なぜ日本人はそこまで吹き替え版が好きなのだろうか。

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「字幕は文字数制限があるから」

よくある理由の一つに

「字幕は文字数制限があるから」

というのがある。

「字幕を長々と読ませると観客が疲れるので、訳は簡潔に字数制限がある」と言われている。

そのため、訳が意訳となってかなり端折られてしまう、それだったら吹き替えのほうがいい、という意見だ。

しかし本当にそうだろうか。

確かに多少端折られる部分はあるが、ストーリー的に大きく影響しない訳がほとんどで、むしろ役者の生声や息づかいを直接聞けるメリットのほうが大きい。

「文字数制限説」は、吹き替え版好きが後付けで理由をもってきた感じだ。

視覚障害者に対する配慮

もう一つの理由は、視覚障害者でも楽しめるようにする配慮、というのがある。

確かに吹き替え版はバリアフリー視聴に対する補助の一つになり得るだろう。

しかし視覚障害者に対して、俳優の音声を日本語に吹き替えただけでは片手落ちである。

正しくバリアフリーな環境を提供するのであれば、場面に対する説明、情景・背景に対する補助的な説明が必要である。

健常者に対するカメラ・フレームワークで伝える緊張感や、表情の変化を言葉で伝えなければ、視覚障害者の方は真に映画を楽しめないだろう。

そう考えると「吹き替え版があればそれでよし」とはならないのである。

俳優の生声を聞けなくて残念に思わないのが不思議

こんなことを書いているぐらいなので、私は断然「字幕派」である。

理由は、俳優のセリフを生で聞きたいし、セリフや息遣いも含めて演技だと思っているので、それを丸ごと楽しみたいと思っている。

映画好きの人は

「字幕版と吹き替え版はもう別の映画」

という人が多い。

私も全く同意見だ。

日本のドラマや映画を見ればわかるが、監督は演技、セリフにかなり心血を注いで作り上げている。

事務所のゴリ押しやバーターでキャスティングされたアイドルだって、大根役者と言われたくないから必死に演技している。

現場で何度も何度もNGを出して作ったであろう映画が、外国人の声優によって吹き替えられるのである。

監督は現地語なんてわからないから、現地の配給会社にまかせっきりになるのは想像に難くない。

それで出来上がる吹き替え版は、声優が解釈した演技が付けられた、監督の意図とは異なる演技となる。

これが字幕版とは別の映画だ、と言われる所以である。

たまにTVで過去の名画の吹き替え版を見ると、俳優の演技が無視された、吹き替え声優の大げさな日本語が被った「別の映画」となっているのである。

海外アーティストの歌を吹き替えるようなもの

多くの人は、海外アーティストの歌は、例え歌詞がわからなくてもそのまま楽しむだろう。

そこに異論は無いと思う。

しかし、映画の吹き替え版は、私にとってみれば海外アーティストの歌を日本語で吹き替えするようなものだ。

例えば、

日本の方がテイラー・スウィフトの歌詞を楽しめるように、本日は日本語歌手によってレコーディングしたトラックを流します。本人は口パクですが、テイラーの世界観を日本語で思う存分、ご堪能ください!

なんて言われたら、ブチ切れるだろう。

コンサートでなくても、ライブDVDで「日本語歌手による吹き替え版」なんてあっても誰も買わないだろう。

歌詞なんてわからなくても、本人の肉声を聞きたいし、生声を含めてパフォーマンスでありコンサートである、と考えるのは当然だ。

私にとって映画の吹き替え版はそれに近い感覚である。

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