以前からもやもやしていることの一つに、日本人の努力の方向が間違っているのではないか、ということ。
なんでこんなことを思うのか、今回は説明してみたい。
日本人は一発試験が好き
日本で受験と言えば、早い人では中学受験、多くの人は高校受験を経験する。
日本の入学試験は通常、2月から3月にかけて行われ、多くの場合は体調不良による再試験は認められない。
よくあるのが試験前日にインフルエンザに罹患したとか、何か病気になっても再試験を受けられるケースはほとんどない。
つまり、実力を測る試験でありながら「運」の要素もある、というのが日本の受験制度だ。
年に一度しか行われず、しかも病気に対する救済措置もない試験であることから「一発試験」と揶揄されている。
このことは度々指摘されるものの、現代の社会を担う人達のほとんどがこの「一発試験」をくぐり抜けてきた人達ということもあってか、見直す動きはほとんど見られない。
インフルエンザが最も蔓延する1月~2月に実施される入試は、体調不良による救済措置が無いため、多くの人は試験前の数週間は他人との接触を極端に減らしたり、中には試験前日は学校近くのホテルに宿泊するなど涙ぐましい努力をしている。
しかしそのことに異を唱えず「そういうものだから」で納得している日本人の何と多いことか(笑)
アメリカの高校・大学受験は日本に比べるとラク
アメリカの入試制度
アメリカの場合はどうなのか。
まずアメリカは高校まで義務教育のため、高校入試が無い。
一部には大学進学を目的とした私立高校もあるが、日本のように多くない。アメリカの私立高は進学校であり授業料も高額なことから富裕層の子女が通うケースが多い。
ほとんどの市民は居住区にある公立の高校に通うのが普通である。(中には成績優秀な生徒の受け皿となる公立高もあるが、ここでは割愛する)
そのため、日本の中学生のような高校受験を見据えた学習や進学塾というのが無く、日本人からするとかなりゆったりとした中学生活を楽しめる。
「それではいい大学に受かるための学力が身につけられないのではないか?」と日本人の感覚では思うかもしれない。
しかし、アメリカの大学入試は日本のような一発試験が無く、
・大学進学適正試験(SAT)のスコア
・推薦状
・小論文(エッセイ)
を揃えて、オンラインもしくは郵送で送付するだけである。そのため、日本のような「入試日」というのが無い。
これらの提出書類で多面的に審査され、入学許可が出される。
日本のような入学志願者を一同に集めて行うペーパー試験は無く、強いて言えば大学進学適性試験(SAT)がセンター試験に相当するが、このSATは年に何回も受けられる試験で、数回受けて一番いいスコアを提出することができる。
仮にインフルエンザや体調不良でSATを受けられなくても、また別の日に受ければよいので実にフェアなシステムである。
アメリカの大学は日本の大学より入るのが易しい?
日本の入試のようにセンター試験や一発試験が無いので、大学入試に関しては日本よりも比較的易しいと言えるが、だからと言ってアメリカの大学はレベルが低いのだろうか?
世界大学ランキング2020では、上位1位~15位はほとんどがアメリカの大学である。(ちなみに日本の最高峰である東京大学は36位、京都大学は65位)
現在、世界を変えるようなサービスの多くはアメリカから生まれている。
Googleはインターネットに広告価値を与え、Amazonは流通に革命を起こし、Appleはスマートフォンで人々の生活を一変させた。
「日本の作る電子部品が無ければスマートフォンは作れない」は事実ではあるが、人々が使いたくなるようなスマートフォンを日本は生み出せなかった。
僕はこの違いは日米の教育制度の違いにあると考えている。
日本は入試が一発試験になっているので、どうしても難関大学の入試を「突破」するのが目的化してしまう。
だから合格してしまえば、後は適当に履修すれば卒業できるところが多い。
あのホリエモンですら「東大は入ってしまえば後はラクで、毎日時間が余って退屈だった」と言う。
一方、アメリカの大学は入学は比較的易しいが、卒業するのはかなり大変である。宿題は多いし、授業ではそれなりに発言しなければならないし、授業で発言するためには予習しなければならず、死ぬほど勉強しないと4年で卒業するのも大変である。
入学時の学力はアメリカ人よりも高いものの、4年間まったり過ごしている日本人と、片や4年間死ぬほど勉強したアメリカ人とでは社会に出た時点で既に差が付いている。
ほとんどのアメリカ人は「人生で一番勉強したのは大学時代」と言う。日本人は「人生で一番勉強したのは大学受験」という人が多いところからも、大学教育の意義が失われていることがうかがえる。
日本人が無駄な努力をしているときに、彼等は着々とロジカル思考とディベート力を養っている
日本は受験制度、とりわけ一発試験のせいで、せっかくの貴重な小中高時代の時間を受験勉強に費やさなければならない現実がある。
しかもその勉強が建設的ならまだしも、目的は志望校の合格なので、ひたすら似たような問題と格闘して問題の変化球に備えることが要求される。
進学校であれば、高2までの間に高校課程のカリキュラムを終わらせて、高3の1年間は受験対策に費やすのが一般的だ。
しかしよく考えてみて欲しい。
もし大学受験が無ければ、高2で高校課程の学習が終わっているのであれば、高3の1年間はもっと別の学習をしたほうが建設的ではないだろうか?
一度学習が終わっているところを、一発試験のために過去問や発展問題に1年も掛けるなんてあまりにも無駄過ぎる。
そんな時間があるのなら、大学課程で使うであろう応用数学や応用物理を教えるとか、ディベート教育に使うほうが、大学に進学してからの学習理解度が高くなるはずだ。
本題から外れるが、実はそれをやっているのが国立高専である。
エンジニアのための学校と言われる高専は修業年月が5年で、途中で大学受験を挟まずに高大一貫教育を行う高等教育機関だ。
5年間という修業期間から、一般的には高校3年+短大2年と思われているが実態はそうではない。
専門科目は4年制大学以上にこなすため、実質は「最初の2年で高校3年分、後の3年で大学4年分」の単位をこなす。
2年生で高校数学3年分が終わるのは進学校と同じだが、3年になると理系大学1年で学ぶ数学が始まる。これが出来ないと大学課程の専門教科に入れないからだ。
その結果、5年間で大学4年分の専門教科を履修することができる。
学習意欲のある者は国公立大学の編入試験を受けて3年次に編入するが、専門教科に関しては既に学習が終わっているので、理系ではあるが大学生活は余裕だと言う。
アメリカの話に戻そう。
一方のアメリカ人は、日本のような大学入試制度が無いので高校生活は割とのんびりしている。
のんびりしてはいるものの、アメリカの教育は基本的に議論(ディスカッション)、討論(ディベート)がベースにあるので、自然と論理的思考が鍛えられる。
この論理的思考は大学で人文科学を学ぶために必要な素養であり、日本人高校生に圧倒的に足りない力である。
つまり日本人が一発試験対策に時間を費やしている間、海外では論理的思考を高める教育を地道に積み重ねており、その能力は政治・外交・ビジネスに反映される。
僕も仕事でよくアメリカ人と打合せするが、ロジカルで合理的な議論をする彼等にやられることもたまにあって、もっと若いうちにこの能力を鍛えておけばよかったとしばしば後悔する。
日本は今すぐ一発試験を辞めるべき
大学同士で日米を比較すれば、アメリカの大学生のほうが圧倒的に勉強量が多いが、中高も含めると日本人のほうが勉強に費やした時間は多いと思う。
しかし、それだけ学習に時間を費やしながら、日本から革命的なサービスが生まれた話はここのところ全く聞かない。
GAFAもUberもZoomも全てアメリカで生まれ。日本にも優れたサービスはあるが、それは既にあるものを磨いた結果であって、日本生まれで世界で使われているサービスは本当に少ない。
僕は、この差は教育システムの差が影響しているのだと思う。
日本が受験対策で時間を費やしている間、彼等は実学に即した学習に時間を費やし生産的な人材を世に送り出している。
アメリカの入試制度は、端的に言えば「入学はし易いが卒業が大変」である。単位認定が厳しく、死に物狂いで勉強しないと卒業できないのがアメリカである。
一方、日本の大学は入るのが大変だけど、入ってしまえば程々に勉強すれば卒業できる。どちらの卒業生が生産性が高いか一目瞭然だろう。
日本は今すぐ一発試験を辞めて、総合評価する入試制度に替えるべきだ。
フェアな試験制度とは
アメリカの数学が簡単だからと言って、英語さえ出来ればハーバードやスタンフォードに入学できるかと言えばそんなことはない。
冒頭でも書いたように、アメリカの受験制度は総合能力(高校の成績、SAT、小論文)で判定される。あくまでも日々の成果の積み重ねが必要だ。
日頃からコツコツと勉強した成績が評価されるアメリカと、一発試験の成績で評価される日本。どちらがフェアだろうか?
インフルエンザが蔓延する時期に、なんとかセンター試験を突破しても二次試験のときに体調をくずせばそれで終わり。そんな制度に納得している日本人は目を覚ました方がよい。
僕は、日本人は基礎的な能力が高いと思っている。
仕事に対して真摯に取り組み、真面目で、ハードワークを厭わない姿勢は、いろんな国々の人間と仕事してきた経験からも実感することである。
しかし一方では、何かを生み出す力、0を1にする力が圧倒的に足りないと思うのも事実である。
それだけに、せっかくの日本人の高いポテンシャルをあんな受験制度のために浪費するのが惜しくて仕方が無いのだ。
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