人工知能(AI)の発達で仕事を失う人と生き残る人の違いとは?「既にAIに負けている残念な人」とは?


最近は社会のいろんなところにAI(人工知能)が浸透してきており、我々も知らず知らずのうちにAIに触れている。

例えば、お掃除ロボットは部屋の大きさや障害物を学習しながら使用環境に適応するし、コールセンターは会話内容から回答候補になりそうな過去の事例をオペレータに瞬時に伝えたり、ユーザーのクレジットカードがいつもと違う消費行動を取ったときに過去の犯罪事例と一致する場合はアラートを挙げたりするなど、AIは私達人間社会に既にに入り込んできている。

AIはこれからもっともっと高機能化して世の中を便利にしていくのは間違いない。

人間が経験を積むためには、時間と労力を消費する必要があるが、AIは高性能なコンピュータと電力があれば人間よりも遥かに短時間で「経験」を習得できるからだ。

一方で「人工知能(AI)が発達するとロボットに仕事を奪われて、人間がすることが無くなるのでは?」と危惧している人も少なくない。

個人的には、全ての仕事がAIに置き換わることは無いが、現在の多くの職業はAIに取って代わるだろうと考えている。

指示待ち人間が淘汰される日

“教えてもらってないことはできません”が危うくなる

かつての仕事現場では「他人の仕事を見て学べ」「先輩の仕事(のやり方)を盗め」「とにかくやってみろ」といった職場が多かったように思う。

やってみては失敗して叱られて、なぜ出来ないんだろうと悩みながら成長していくやり方であるが、この方法は職業人としての「考える力」「物怖じしないでトライする力」を育てるには適していたものの、そういった指導は指導と称したパワーハラスメントの温床になりやすい面は否めなかった。

新入社員が多かった時代は、そういった感覚に頼った前時代的な指導に慣れない人材が自然に淘汰され、「耐えて残った人材」を起用することで会社は成り立っていたが、2000年代になると出生率が下がり続けた影響が出始めて新規の就労人口も減少し、前時代的な指導方法では若者が戦力になる前に退職してしまうという負の面が目立つようになってきた。

以前は「教えてもらっていないことはできません」なんて言うと「バカヤロー!」と怒鳴られたものだが、よく考えてみれば教えてもらっていないことが出来ないのは当たり前のことで、それだけで怒鳴られる意味がわからないのは当然と言える。

以前は怒られていた「教えてもらってないことは出来ません」が「そりゃそうだよね、じゃあやり方を最初から教えるね、…」に変わっていったのは当然の帰結といえる。

しかしこの「教えてもらってないことは出来ません」には

・「教えてもらってないことは出来ません」で思考停止している人
・「教えてもらってないことは出来ません。でもそれをやるにはどうしたらいいのですか?」という人

という2種類の人間がいる。

問題は前者である。

・「教えてもらってないから出来なくて当たり前」
・「僕が出来ないのではなく、僕を上手に使えていない上司がダメ」

という思考では、既にAIに遅れを取っていると言わざるを得ない。

なぜならAIは自分で過去の事例から問題を解決しようとするからだ。

その答えは間違っているかもしれないが、人間が望んでいる答えではないことをフィードバックすればそれがまた知識として蓄積される。ディープラーニングだ。

「教えてもらってないことはできません。(キリッ」

という人間と、

「膨大な情報を与えると自ら学習して答えを導き出そうとするAI」

とでは、どちらが生産活動に寄与するだろうか?

前者は既に「AIに負けている」のである

AIが人間の仕事を奪う?

AIの議論でよく言われるのが「AIが人間の仕事を奪う」と「人間の仕事が無くなる」ではないだろうか?

僕はAIは人間の仕事を奪うのは間違い無いが、かと言って人間の仕事は絶対に無くならないと思っている。

AIが人間の仕事を奪う

AIというより、機械化や自動化が進めば人間の仕事は無くなって行くのは自然の摂理である。

かつての飛行機は機長、副機長、フライトエンジニアの3人体制で運行していたが、航空機のグラスコックピット化(電子化)が進んだ現在では、民間機のフライトエンジニアは不要になってしまった。

身近なところで言えば、かつてのスーパーのレジ打ちは早く正確に打てる人材は付加価値が高かったが、今ではバーコードの読み取り精度が飛躍的に上がり、レジ業務は付加価値のある仕事では無くなってしまった。

工場でも、かつては熟練工が担っていた部分は高性能な工作機械が大部分をカバーできるようになって職人が持つノウハウを数値化することが容易になってきた

AIが実用化されていけば、例えば過去の膨大な診療データから初期診断が可能になり、診断内容に基づいた投薬までAIが出来るようになると言われている。

医師という職業が不要になることは無いだろうが、その付加価値は大きく下がるだろう

これは裁判官、検事、弁護士などの法曹職にも言える。

日本の国内法、省令、県条例や過去の犯罪事例、判例をビッグデータとしてAIにディープラーニングさせれば、少なくとも過去の判例に応じた求刑、判決相場を瞬時に見積もることができるので、裁判の迅速化に生かせる。

むしろ医者や弁護士のような膨大な情報を元に何かを判断するような仕事こそAI向きな職種である。

もちろん、AIだけで判断できないこともたくさん出てくるので、そういったイレギュラーな事例を扱う法曹は無くならないだろうが、医者と同じように付加価値は下がってくる。

でも人間の仕事は無くならない

確かに機械化やAIの出現によって人間の仕事は一時的に奪われるだろうが、だからと言って人間の仕事が無くなるとは思えない。

なぜなら人間はヒマに耐えられない動物だからだ。

戦後ほどなくして高度成長期を迎えると、昭和40年に松下幸之助が欧米にならって週休二日制を導入した。

この頃になるとテレビが一般家庭にも普及し「テレビを見る」ことが娯楽となっていった。

それまでは人々は演劇を見るには劇場に行かなければ見られなかったし、歌を聞くにはホールに行くしかなかったが、それがテレビで楽しめるようになったのだ。

当時から現代までTVの勢いは説明するまでもないが、今ではTVの視聴習慣が無い人を探すほうが難しい。

戦前はTVなんて無かったのだが、今は余暇を楽しむものとしてTVは欠かせなくなったわけだ。

つまりこれは「TVの出現によって人間の新しい欲求を掘り起こした」とも言える。

最近で言えば、スマホが人間の新たな欲求を掘り起こしている

かつてはパソコンは家で使うもので、せいぜい持ち出してもノートPCぐらいだったものが、今や手のひらに収まるスマホで、世界のどこにいても簡単に情報にアクセスできるようになった。

電車の中をみればわかるように、今やほとんどの人がスマホを使っている。彼らの中で嫌々スマホを使っている人はいないだろう。みんな使って楽しいから使っているのである。

何を言いたいのかと言うと「人間がヒマになると、必ずそのヒマを埋めるためのサービスが生まれる」ということ。

お仕着せなTV番組に食傷気味だったところに、動画投稿サイトであるYoutubeが登場してTV離れを加速させた。

携帯電話が進化してスマートフォンが登場し、自宅のパソコンで出来ることのほとんどが野外に持ち出したスマホでできるようになった。

アマゾンプライムやNetflixなどの定額制の動画配信サービスも、既存の地上波に飽きたユーザーを取り込んでいる。

AIの登場で人間の仕事の一部を代用できるようになれば、給料は変わらずに労働時間が減る方向に向かうだろう。

そうなると、増えた余暇時間を狙ったサービスがどんどんと出てきて、その中からYoutubeやNetflixのようなヒットサービスが生まれてくるはずである。

言い換えれば、既存のTVは人々の余暇時間を埋めるほどの魅力が新サービスに比べて薄くなったということ。

新しいサービスが新しい雇用を産む

AIや機械化によって仕事が奪われると一時的に失業者は増えるかもしれない。

しかし機械化やAI化が進むと生産性が上がり人々の余暇が増える。そうなると余暇を狙った新しいサービスが必ず出てくるし、新しいサービスが出てくれば新しい雇用が生まれる。

つまり必要なのはAIや機械化によって縮小する業界を保護するのではなく、それによって仕事を失った人を新たな産業に転換するための仕組み作りであり、これは政治の仕事である。

AIに仕事奪われるのまとめ

「教わってないから出来ません(キリッ」は本当に残念な人材だと思う。

AIに置き換えられないためにも、せめて「教わっていないのでやり方がわからないのですが、どうすればいいか教えてもらえますか?」と前向きな姿勢で臨むべきだろう。

個人的にはシンギュラリティ(特異点:AIが人間を超える)は来ないと思う。そう思う理由はまた別の機会に。